2019年07月31日

暑い!

 急に暑さが増した。気温が体温より高くなるなど、信じがたい。あまりにも暑いと、私は生きる気力を失うのだと最近気づいた。生きる気力なんて、暑くない時にもあまりないけど、ここまで絶望的な気分にはならない。

 子供の頃読んでいた学習雑誌に「気温が体温より高いって、どんな感じ?」「そういう時は、だれかとだきあっていた方が涼しいかもネ!」というようなことが書かれていたのを覚えている。そこには、上半身裸のカトちゃんケンちゃんが抱き合っている姿を描いた漫画が添えられていた。

 その当時は、気温が体温より高いだなんて、私は一生経験することがないのだろうと思っていた。予想は外れた。

 そういう日が年に一回、二回くらいならば耐えられるのだが……。あるいは夜、涼しくなってくれれば……。あるいは湿度が低ければ、もうちょっと過ごしやすいのだろうに。

 エアコンの室外機から出る熱風が気温上昇を促進してしまいそうなので、家に一人でいる時はなるべくエアコンなしで過ごすようにしていた。しかし、昨年あたりから命の危険を感じるようになったので、我慢せずエアコンを使うようになった。ごめんなさい!

 世の中には賢い子供がいるもので、このような論文を見つけた。

「エアコンの室外機の熱風を冷風に!!」~ぼくの家の温暖化対策
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/ronnbunshu/041019.pdf

 何か疑問を持ったら、計測して検証し、改善策を考えることが大切なのだ。しかし、私の頭はもう回らない。老化のためか、温暖化のためか。後者のせいだと思いたいのだが……。

 数年前に縁あって、初めてイギリスに行った。それ以来、バーミンガムにたびたび行くのだが、そこは夏は暑すぎず、冬は寒すぎない。ああいうところだと一年中脳みそがフル回転しそうだ。脳みそがフル回転すると、いろんなことを考えられる。その結果が産業革命で、産業革命の結果が今の地球温暖化につながるのだと考えると、もう何がいいのか悪いのかわからなくなってくる。

 人間は必要なものを必要な分だけ得たら、あとは何もしないでおとなしくしているのが、地球のためにも自分のためにも、一番よいのではなかろうか。


マンハッタナーズ 扇子 「よい眠り」

 猫は、夏には涼しい場所を、冬には暖かい場所をよく知っている。こんな扇子を眺めていたら、絶望的な気分も少しは和らぎそうだ。

ラベル:日常 怒り
posted by ごー at 14:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月25日

デトックスウォーター

インターネットを見ていて知ったのだが、デトックスウォーターというのがあるらしい。果物や野菜を切って水に入れ、数時間おいたあとでその水を飲むというもの。

冷蔵庫にいちごがあったので、口の広いペットボトルに入れ、やかんに残っていた水を注ぎ、一晩冷蔵庫に入れておいた。

翌朝。水がうすいピンク色になっていた。いちごはふやけて白くなっている。ピンク色の水を飲んでみる。なかなかおいしいのだが、いちごをそのまま食べた方がよかったかもしれない。しかし、あまりおいしくないいちごに当たってしまった時、この方法はよさそうだ。最近のいちごはどれも甘くておいしいので、すっぱいだけのものってなかなかないのだけど。

むくみに効くというので、きゅうり入りも作ってみた。特においしいものでもないし、むくみに効いたかどうかもよくわからなかったが、水につけて冷えたきゅうりをサラダに入れたらおいしかった。

西瓜やメロンの皮でも作ってみた。これだけではあまりおいしくないので、レモンの薄切りを入れた。レモンの薄切り入りの水って、おしゃれカフェなどで見たことがある。

今まで、りんごの皮は捨てていたし(きれいな色の皮の時は、お湯に入れて煮立てて、ちょっと砂糖を入れる、というのを時々作るが)、絞ったあとのレモンも捨てていた。こうして水につけると、簡単に味付きの水が作れて楽しいなあ。外国産のレモンにはいろんな薬剤がかけられているそうなので、国産のものを使う。

今までどんなに多くのものを捨てていたのだろうかと考えると、頭がくらくらしてしまう。この水を飲んだからといって、デトックス(毒出し?)になるかどうかはよくわからないけれど……。
ラベル:食べ物 日常 反省
posted by ごー at 23:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

雑草

 庭が雑草だらけで大変なことになっている。今は「雨が降っているから」を言い訳に放置しているが、雨がやんだらなんとかしなければいけない。

 そもそも「雑草」とは失礼な言い方だ。草はそれぞれに頑張って生きている。それを見た目がよくないからといって、引き抜いて捨てるとはどういうことだ。

 小さい花をつける草もある。大事に育てられる花がある一方で、無造作にむしられる花がある。花に何の違いがあるというのか。

 かくいう私も、道路と歩道の境目に背の高い草がもさもさはえていたりすると、かっこわるいなあ、と思ってしまう。しかし冷静になって考えてみると、かっこわるいことの何がいけないのか。「かっこわるい」と思うのは「私」であって、生きている草とは何の関係もない。生きている草に「かっこわるい」などという意味づけをするのは、とても傲慢なことだ。

 すべては人間の都合なのである。

 人間がいなかったら、この町はどんなふうになるのだろうと考えることがある。最近ではイノシシやシカが目撃されるようになったという話だから、そういう動物たちの生きる場が増えるのだろう。草も木も刈られることなく伸びる。シカが草を食べることもあるだろう、根を残して。

 人間がいなかったら、アスファルト舗装の道路もなく、駐車場もなく、建物もなく、そういうところには草がはえて、いろいろな動物が暮らす。大気汚染はもちろん、地球温暖化もないのかもしれない。

 なーんていろいろ書いてみたけど、結局のところ、ここに書いたことはすべて、草むしりをしたくないことに対する言い訳なのでしょう。もう、人間やめたいです。私が引き抜く草と私には、何の違いもないはずです。私が食べる牛やにわとりと私の間には、何の違いもないはずです。それなのに私は草を捨て、肉を食べていながら、自分が死ぬのはこわいと思っていたりする。人間として生まれてきたことが、私の一番の「後悔と反省」。
ラベル:日常 反省
posted by ごー at 18:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする