先日も、夫が話してくれた世界の動向について、「これは世界の終わりだ!」と言ってしまった。
「なんでいつも同じことを言うの? まいにちまいにち……」と夫がうんざりしたような顔で言うので、
「まいにちまいにち、ぼくらはてっぱんの〜」と歌ってみたけど、特に面白いとは思ってもらえなかった。
「およげたいやきくん」はよくよく考えてみると不思議な内容である。
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「まいにちまいにち、ぼくらはてっぱんの、うえでやかれて、いやになっちゃうよ」
たいやきは焼きあがったら売られて、誰かのおなかに入るものなのに、まいにち焼かれるとはどういうことだろう。この「いやになっちゃう」と語る意識は、のちに海に逃げ込むたいやきくんだけのものではなく、おじさんの店で焼かれるたいやき全体の意識ということなのだろうか。
店のおじさんとけんかしたたいやきくんは、海に逃げ込む。これは、神との約束を破り、楽園を追放されたアダムとイブを想起させる。たいやきくんは自らの意思で逃げ出すという点が異なるが。
海での生活はなかなか快適である。海は広くて、サンゴは美しいし、住むところにも困らない。さめがいじめてくるけど、逃げればいい。
楽しい生活も、釣り人によって釣り上げられることで終わりを迎える。釣り人はたいやきくんをうまそうに食べてしまう。しかし、海水でふやけたたいやきは、おいしいものなのだろうか。
繰り返される日常を離れて得た、永遠とも思われるような、しかし結果としては儚い、自由な時間。最後に待っているのは死。いや、たいやきくんは釣り人の胃の中で消化され、栄養分となり、新たな生命を得るのであろうか。
子供の頃は上に書いたようなことはまったく考えず、前髪のあるたいやきくんはかわいいなあと思っていただけだった(今よく見ると、たいやきなのに腕がある!)。
食べ物が逃げ出したけれど、最後には食べられてしまうという物語は、欧米では珍しくないようだ(「The Gingerbread Man」「Колобок」など)。
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