「私は何のために生きているのだろう」と考え始めた。誰かのためか、自分のためか? 社会の役に立つようなことをするためか?
そんなことを考え始めたのは、知っている人が誰もいないところに引っ越して、アルバイトもやめてしまって、暇になったからかもしれない。
そういうことは、学生の頃に考えておくべきだった。あるいは、そんなことを考えなくても済むくらいに夢中になれることを見つけておけばよかった。時すでに遅し。
漫画家で江戸風俗研究家の杉浦日向子氏(1958-2005)がどこかで、「人間一生糞袋」という言葉を紹介していた。なるほど。糞袋か。私は「うんこジェネレーター」か。そのようにして生産したものをうまく活用すれば、みみずや微生物や植物のためになるけど、水洗トイレに流してしまっているからなあ、なんと無駄なことをしているのか。
私が生きているのはなぜかということについて、何かヒントが得られるかと思い、本を読んだり映画を見たり、瞑想の会に行ってみたりした。
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最近、一つひらめいた。
「自分がいなくなっても誰も困らないような状態に整えていく」。それが私の生きる意味、あるいは生きる目的なのではないかと。確か、JICAの活動もそんな感じだとどこかで見聞きした覚えがある。
そのように考えてみると、昔やるべきだったこと(今では手遅れだが)、これからやっていくべきことが見えてきたような気がした。私がいなくなることでちょっと困りそうだと想像されるのは夫と母だが、この十年を振り返ると、二人ともなんとかやっていけそうではあると確認できたのはよかった。
そして「誰も困らない」の「誰も」の中には「自分自身」も含まれる。
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十年前のちょうど今頃、エンディングノートというのを買って、買ったまま何も書かないで放置していた。まずはこれに書き込むことから始めようか。
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