2021年10月27日

人生の意味

今から十年ちょっと前。

「私は何のために生きているのだろう」と考え始めた。誰かのためか、自分のためか? 社会の役に立つようなことをするためか?

そんなことを考え始めたのは、知っている人が誰もいないところに引っ越して、アルバイトもやめてしまって、暇になったからかもしれない。

そういうことは、学生の頃に考えておくべきだった。あるいは、そんなことを考えなくても済むくらいに夢中になれることを見つけておけばよかった。時すでに遅し。

漫画家で江戸風俗研究家の杉浦日向子氏(1958-2005)がどこかで、「人間一生糞袋」という言葉を紹介していた。なるほど。糞袋か。私は「うんこジェネレーター」か。そのようにして生産したものをうまく活用すれば、みみずや微生物や植物のためになるけど、水洗トイレに流してしまっているからなあ、なんと無駄なことをしているのか。

私が生きているのはなぜかということについて、何かヒントが得られるかと思い、本を読んだり映画を見たり、瞑想の会に行ってみたりした。






最近、一つひらめいた。

「自分がいなくなっても誰も困らないような状態に整えていく」。それが私の生きる意味、あるいは生きる目的なのではないかと。確か、JICAの活動もそんな感じだとどこかで見聞きした覚えがある。

そのように考えてみると、昔やるべきだったこと(今では手遅れだが)、これからやっていくべきことが見えてきたような気がした。私がいなくなることでちょっと困りそうだと想像されるのは夫と母だが、この十年を振り返ると、二人ともなんとかやっていけそうではあると確認できたのはよかった。

そして「誰も困らない」の「誰も」の中には「自分自身」も含まれる。






十年前のちょうど今頃、エンディングノートというのを買って、買ったまま何も書かないで放置していた。まずはこれに書き込むことから始めようか。






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posted by ごー at 04:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月22日

さちみりほ『さちみんの節約アンチエイジング人生』

漫画家がいろいろな美容法や化粧品を試して、その様子を描いた漫画を見るのは好きだけど、いつも心の中では「私には関係ないなあ」と思っていた。エステサロンにもネイルサロンにも行ったことがないし、一年以上化粧をしていないし、美容院にはもう数年行っていない。

お金がないというのもあるけど、そういうところに行く時間があったら、家で眠っていたいと思ってしまう。それでも、小綺麗にしていたい、健康でありたいという欲はあるので、この漫画はとても参考になった。






世間がバブル経済で浮かれていた時代に、そんな風潮に流されることなく、作者は堅実な生活を送っていた。それは食べ物に関してだけではなかった。

モーターショーのコンパニオンのアルバイトへ行く際には、腕時計がないので目覚まし時計持参で行ったのだという。ないものをすぐに買ってすませるのではなく、代用できるものを活用すればいいのだと私はこのエピソードから学んだ。

若さと健康を保つのに、必ずしも大金が必要というわけではないのである。作者は漫画を描くという仕事をしているのに、肩こりに悩まされることもないという。見習いたい。

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posted by ごー at 20:48| Comment(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月10日

電車で席を譲られる

去年の今頃だったと思うが、夫が突然、

「実は春頃、電車で席を譲られた」

と言った。なぜ、今そんなことを言うのだろう。

夫はさみしそうな顔をしていた。

夫は、年のわりには若く見えると自分では思っていて、若い外見であることをうれしく思っている節がある。

何年か前、夫と二人で外出した。天気のいい日で、暑いくらいだった。

こんな日は昼間からビール飲みたいなあ、と思いながら歩いていたら、街頭アンケートに答えるとノンアルコールビールをプレゼント、というキャンペーンをやっているのが目に入った。

「ビール飲みたい」と私が言ったら、夫がアンケートに答えてくれることになった。

アンケート係の人に

「年齢は……50歳過ぎているようには見えないですね」

と言われて、夫がうれしそうな顔をしたのを私は見逃さなかった。

そういうわけで、電車の中で席を譲られたことが夫にとってどんなに衝撃的だったか、私にはその心のうちを思いやることしかできなかった。

それ以後、夫と電車に乗ると、夫が席を譲られる場面を私も目にすることとなる。

たいていの場合は、こんな感じ。

私があいている席に座る。私の隣に若い男の人が座っている。そうするとその人は席を立って、夫に席を譲ってくれる。お連れさんだから並んで座りたいでしょうと配慮してくれているのかもしれない。

私が夫から離れたところに立っている時に、夫が席を譲られるのを目撃したこともある。

いつまでも若いと思っていたけど、私には夫は「35歳」にしか見えないのだけど(初めて会ったのが夫35歳の時だったから)、いつのまにか時間は過ぎていたのだった。

そういう私も、最近はよく席を譲られる。頭には白髪隠しのための帽子、顔にはマスクで、年齢を示すようなものを露出させてはいないはずなのだが、不思議だ。帽子でもマスクでも隠しきれない老いが、全身からにじみ出ているのだろうか。あるいは、顔色が悪いのか、姿勢が悪いのか?

私は、自分が老けてみられるのは構わないのだけど、自分の中身が年齢と釣り合っていないことが恥ずかしい。年相応の知識とか思考とか行動等が、私にはない。最大限多く見積もって、7歳児くらいだと思う。いや、3歳児くらいか。なんでこんなことになってしまったかなあ。

人生やり直せるなら、毎日を大切にして、精神的にも年相応に成長したい。

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posted by ごー at 23:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする