2024年02月10日

河井寛次郎『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』

短い随筆です。

冒頭に「戦争も終りに近づいた頃でありました。」とあるので、この著者は戦争では死ななかったのだと知って、私は少し安心しました。

でも、それは今では終わったことだから安心できるのであって、終わる前までに時間が戻れば、少しも心が落ち着くことはないのです。

著者は京都在住で、毎日これが最後と思いながら散歩に出かけます。

その日もいつものように散歩に出かけ、これが最後かもしれないと思いながら町を眺めていると、ある思いが著者を打ちます。

なあんだ、なあんだ、何という事なんだ。これでいいのではないか、これでいいんだ、これでいいんだ、焼かれようが殺されようが、それでいいのだ--それでそのまま調和なんだ。


これは、悟りというか一瞥体験というか、そういうものなのでしょうか。私も体験してみたいものです。いえ、既に体験しているのかもしれないけれど、すぐに過ぎ去ってとどまることがなく、また不安と苦しみにとらわれてしまうというのが今の私の現状です。

また、「焼かれようが殺されようが、それでいいのだ」という考えは、自分一人に限ってはそう思えますが、他の人や生き物に関してはそうは思えません。誰も焼かれたり殺されたりしてほしくないと私は思ってしまいます。

またある時、ある木の葉が虫に喰われて丸坊主になっているのを、著者は見ます。以前ならただただいたましいと思われたその光景が、その時は、

葉っぱが虫に喰われ、虫が葉っぱを喰っているにもかかわらず、虫は葉っぱに養われ、葉っぱは虫を養っている


というふうに見えたのだそうです。

すべては循環する? でも私は、猫にはねずみを食べてほしくないし、雀には虫を食べてほしくないと思ってしまいます。虫が葉っぱを食べるのはいいけど、丸坊主になるまで食べないでほしいと思ってしまいます。

そして私は、養ってもらうばかりで養うことのない人生でした。だから私はいつも不安なのでしょうか。

不安のままで平安


その境地に至ってみたいものです。






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ラベル:読書記録
posted by ごー at 08:15| Comment(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする