2025年04月21日

闘病記を読む

ここ数日は、闘病ブログや闘病中の人たちの動画を見ながら、時々泣いていました。

みんな、なんて前向きなんだ。そして私の年頃だとたいていの人に子供がいたり、孫がいたりする。

なぜこういう人たちのところに難しい病気が行って、私みたいに何の役にも立たないものが意味もなく生きているのか、まったくわけがわかりません。

とはいえ、今日うまれた子供たちも、百年以内にはたいてい死ぬらしく、私も遠くない将来に死ぬらしいのです(いまだに納得いきませんが)。死ぬ時に、痛かったりこわかったりするのかと考えると、とても恐ろしいです。しかし、私が死んでも悲しむ人はいない、その点だけはよいことだと思います。でも後片付けをする人には、大変申し訳ないと思います。吸血鬼の最期みたいに、一瞬で灰になってしまえたらよいのに……。

この十数年、死んだ人たちのことを思い出しては泣いて苦しんでいます。なかには片手で数えるほどしか会ったことのない人たちもいるのですが。そして、死ぬには早すぎる年齢の人たちもいます。今になって泣くくらいなら、もっと積極的に関わって思い出をたくさん作っておけばよかったのかな? それとも、よい思い出がたくさんあったら、もっと苦しくなるのかな?

今からではどうにもならない過去のことを、ああだったらこうだったらと思うことなく、前向きな思考を持つにはどうしたらよいのでしょうか。脳みそのどこかをちょちょっとつついたら、楽しく生きていくことができるようになるのでしょうか。

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ラベル:反省
posted by ごー at 05:03| Comment(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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